遠野市綾織町の神社とお堂

サムネイル画像とタイトルに撮影日の画像集「withPhoto」へのリンクが施されています。左側の各項目には過去に撮影された画像集やYouTubeも掲載されているものもあります。但し、下記の説明文の最後に左側項目へのリンクがないものは、過去に撮影された画像集またはYouTube動画ありません。

続石の山神社

2011.11.18

昭和34年3月10日遠野市天然記念物指定(続石)

遠野市綾織町上綾織6地割

遠野物語拾遺第11話に登場する続石。盛岡から来る途中の綾織で散策出来る名所です。

続石の前には弁慶の昼寝場があり、背後にはこの山神社がある。

続石の真ん中が丁度人一人通れる隙間がある。ここからこのお社を見ることが出来る。続石の形からしてこの続石を鳥居に見立てているようだ。また、この山神社の御神体そのものもこの続石なのだろう。お社の中には、馬の置物や小さな乳神様まであるようだ。

YouTube動画はこちらにあります。

丹内神社

2011.10.01

遠野市綾織町上綾織17地割

大日神社からそう離れていない場所にあります。

お堂への入口には真新しい案内塔があり、この石塔は昭和22年10月に建てられてものです。

お堂への道筋には沢水を利用した洗い場が何カ所も設けられており、大根やネギなどの野菜を洗うのに利用されているのでしょう。

なんとも新しく美しいお堂がすぐ目の前の傾斜面に建立されています。案内塔と同じ頃に建立されたのではないでしょうか。

昔からこの地にあった神社なのか。平成になり駒形神社、稲荷神社、丹内神社が合祀されてようです。中央におわす仏像とおぼしき像は四天王のごとくりりしい姿だ。

大日神社

2011.10.01

遠野市綾織町上綾織18地割

道路沿いから近いのですが林の中に隠れるように佇んでいます。

大日如来を祀る大日神社。なぜ神社なのか。出羽大神とかかれた木札があり、他にも祀っているものが神社の要素があるためなのか。お堂の中は畳敷きでかなり大きなお堂です。50人は楽に入ることが出来そうです。なぜこの地にこのような大きなお堂があるのか。信仰の強さを感ぜずにはおられません。そばにはやはり金毘羅大神の石塔があります。

この神社前の道路に奇妙な丸い石がガードレールの内側にありました。一体なんなの?

上大久保の八幡宮

2011.09.09

遠野市綾織町下綾織11地割

綾織小中学校と道路を隔てて反対側、山の斜面に建立されています。車1台が通れる細い道路に面してお寺、八幡宮、忠霊塔が並んでいます。

民家の脇の赤い鳥居をくぐり、畑を横目に見ながら登ります。季節柄栗の青々とした毬栗が落ちています。

一見普通の小屋風のお社が見え、左側にはりっぱな石造りの鳥居が見えます。忠霊塔がその奥に建立されていますが、雑草が伸び放題です。

二郷大明神

2011.11.20

遠野市綾織町下綾織35地割

小友峠、二郷山中腹にある神社です。

この付近を境に小友側が完全舗装、綾織側は車1台が通れる未舗装部分が始まります。昨年11月まで綾織側一部が新しく舗装されました。

石造りの鳥居のそばになんと、とぐろを巻いたゴジラに似た蛇の石像が1体無造作に安置されています。お社の奥には二郷大明神と彫られた石塔が祀られています。残念ながら石塔の上部が欠けていますが、もともとはこの石塔がご神体だったのか。

過去に撮影した画像はこちらにあります。

三社大権現(根岸)

2010.07.23

遠野遺産第124号

遠野市綾織町新里13地割

羽 黒岩参道前の道路から山肌にあるこの神社の赤い鳥居を見つけることが出来ます。大小二つの赤い鳥居をくぐると集会所のような造りの拝殿があり、奥には切り 離されて本殿がありました。三社とは、天照皇大神・八幡大神・春日大神をいいます。本殿左側には昭和28年に建立された山神があります。

田屋の大杉と熊野神社

2010.07.01

遠野遺産第92号

遠野市綾織町上綾織10地割

樹 齢推定1500年の大木で、その樹霊を祀るために熊野神社が建立されました。遠野市指定天然記念物となっています。昔、この大杉を切り倒そうとし、傷を附けた時に血が流れたという伝説があります。大正元年、遠野に福泉寺という新しい寺が建立された。その後の昭和25年、大きな観音像を彫ろうと、福泉寺二代目住職がこの田屋の大杉に注目したのだが血が流れたという伝説により持ち主に拒否されたという話がある。福泉寺は代わりに同じ綾織の石上神社の松の木を手に入れ現在の福泉寺の大観音となっている。(遠野物語をwebせよより)

石上神社

2011.11.22

遠野遺産第54号

遠野市綾織町みさ崎3地割55番地2

昭和25年、福泉寺で大観音を作るために切り出された大杉はこの石上神社のものだというので切り株を探してみましたが見つかりませんでした。遠野三山の一 つ石上山の麓に鎮座し、深い緑に包まれ、風格ある拝殿が静かにたたずむ。文治年間(1185 ~1190)に阿曽沼氏が勧請したという。旧綾織村の村社として広く信仰を集めた。例祭は 8月第1日曜日に行われる。

YouTube動画と過去に撮影した画像はこちらにあります。

愛宕神社(綾織町新里)

2011.08.26

遠野市綾織町新里31地割61番地

正面の石段は勾配がきつく足腰に自信のない方は、五百羅漢方面からの迂回路を。

山腹の神社としては社は大きく付近は平坦な場所が広がっています。入り口の鳥居近くには縁結びの神様として有名な卯子酉様があります。この中にも 愛宕神社が祀られています。

YouTube動画と過去に撮影した画像はこちらにあります。

宇迦神社(綾織町和野)

2010.06.19

遠野市綾織町下綾織37地割

和野公民館に隣接し、民家の間の少し奥にあります。和野集落の中心にありますがここを探し当てるのに手こずりました。道路が緩い弧を描いているため車から では意外に見つけにくくなっています。お堂の周りには石碑群もなく小さい祠が二つあるだけです。中にはみかんの乗った鏡餅が。

綾織駒形神社

2012.05.23

遠野遺産100号

遠野市綾織町下綾織31地割37番地

「遠野物語拾遺」十四、十五話に書かれている神社です。運び出しの途中で動かなくなった自然石もあります。お社の周りには大小様々な石塔が囲むように並ん でいます。

自然を破壊するだけでなく集落を分断する高速道路。駒形神社前の景観も破壊され、一昨年この神社のすぐ傍で縄文遺跡の発掘作業が進められいましたが、埋め戻され釜石自動車道がこの縄文遺跡の上を容赦なく通ります。

復興という名の大義名分をかざした高速道路建設が遠野にもたらすものとは。

谷地館址と八幡宮

2011.08.25

遠野遺産第18号

遠野市綾織町上綾織24地割13番地

嘉禎元年(1235)に宇夫方広治によって築かれた平城である。現在はほとんどその痕跡はない。宝徳2年(1450)気仙の金成政実により谷地館が攻めら れたが、近隣の援軍に助けられ撃退したという記録がある。

過去に撮影した画像はこちらにあります。

羽黒堂と羽黒岩

2011.01.26

遠野遺産第78号

遠野市綾織町新里8地割

羽黒堂の創建は平安時代にまで遡るともいわれる。本尊は金銅聖観音坐像懸仏である。堂の後ろにある羽黒岩は、松の木と背比べをしたという伝説がある。伝統 的な風習を伝える場ともなっており、夜篭りなどが行われている。

過去に撮影した画像はこちらにあります。

上中宿の熊野神社と石碑群(綾織町)

2011.01.15

遠野遺産第33号

遠野市綾織町新里19地割56番地2

明治の頃、地元有志で防火の神をお祀りしたいということで勧請した。境内にある「古峯山」の碑は、まさに防火を祈願したものである。境内の石碑の最古は、 明治24年銘の「金比羅大神」碑である。

過去に撮影した画像はこちらにあります。

愛宕神社(綾織町上綾織)

2011.02.24

遠野遺産第108号

遠野市綾織町上綾織36-12

南部曲り家千葉家から続石を過ぎると左側に鳥居が見えてきます。短い石段を登ると両側に石塔が迎えてくれます。それから石の鳥居をくぐりいざ。

けもの道を広くしたようなぶこつな道が延々と続きます。しばらく行くとまた石塔がありそこから一気にお社に駆け上がる朽ちかけた長い石段が待っています。お社付近にも石塔が。ここまで揚げるのが大変だったことでしょう。

過去に撮影した画像はこちらにあります。