旧遠野市の石碑群

掲載条件

  1. 供養塔(石碑)群は、原則3塔以上をメインとして掲載する。但し、供養塔(石碑)が1塔しかなくとも重要と思われるものは掲載する。
  2. 墓石群は供養塔(石碑)群から除外する。但し、供養塔(石碑)と同一場所にあり、供養塔(石碑)が5点以上ある場合または史跡である場合は対象とする。
  3. 供養塔(石碑)とは、庚申・馬頭観音・山神・雷神・水神などを指すが、参拝記念碑も加えるものとする。
遠野市青笹町
青笹の地蔵尊 青笹26  
喜清院の石碑群 青笹6  
中妻観音堂の石碑群 青笹32-23  
熊野神社(中下)の石碑群 青笹17  
青笹のイブキと石碑群 糠前41  
実木橋傍の石碑群 糠前44  
奴田橋傍の石碑群 青笹30  
関口親交会館前の石碑群 青笹28  
中下の石碑群 青笹4  
本堂の石碑群 中沢23  
古舘の大鳥居と石碑群 中沢25  
長谷場の八坂神社鳥居と石碑群 糠前16  
三ヵ月神社前の石碑群 糠前38  
下関の石碑群 青笹16  
青笹屯所前の石碑群 青笹14  
遠野市綾織町
砂子沢の石碑群 みさ崎6  
続石入口の石碑群 上綾織5  
根岸の金毘羅大神 新里13  
下滝沢の金毘羅石碑群 上綾織2  
下滝沢の八幡大神 上綾織2  
上滝沢の不動塔 上綾織1  
寒風と根岸の石碑群 新里10、12  
上中宿の熊野神社と石碑群 新里19-56-2  
愛宕神社前の石碑群 新里31-61  
遠野市小友町
牛頭天王の石碑 小友町29-7 遠野遺産第143号
路供養塔(虫供養塔) 小友町13  
八坂神社(鮎貝)の石碑群 小友町5  
山谷観音の石碑群 小友町37-1  
巌龍神社の石碑群 小友町33-4  
鷹鳥屋の西国順禮塔 小友町43 遠野遺産第16号
水路供養塔 小友町17 遠野遺産第106号
六地蔵と冥道 小友町27  
堂場橋の石碑群 小友町28  
太田の庚申塔群 小友町17  
小友橋の馬頭観音群 小友町16  
蒻沢(こごみざわ)の石碑群 小友町1  

獅子一吼百獣脳烈の碑と獅子踊供養塔

小友町21 遠野遺産第44号
遠野市上郷町
平野原の石碑群 平野原3地割  
伊勢両宮神社(森の下)の石碑群 細越10-34  
暮坪熊野神社前の石碑群 佐比内31  
長洞橋傍の石碑群 来内1  
来内橋の石碑群 来内14  
佐野橋傍の石碑群 細越17  
大寺の石碑群 平倉46  
平野原の石碑群 平野原1  
曹源寺の供養塔群 板沢24-9  
暮坪の供養塔群 佐比内26地割  
川原の供養塔群 佐比内21地割  
小原田橋の石碑群 平倉42地割  
女長者屋敷跡の石碑群 佐比内16地割  
甲子の庚申塔群 佐比内19地割  
「たかまさま」と石碑群 佐比内18地割  
番屋の供養塔群 細越24地割  
日出神社の石碑群 細越30地割  
繋の念仏塔と石碑群 平倉2地割  
倉田の庚申塔群 平倉17地割  
六角牛神社石鳥居と石碑群 板沢15地割  
遠野市附馬牛町
沢の口の石碑群 東禅寺14地割  
石羽根の石碑群 下附馬牛8地割  
坂の下茅葺き停留所と石碑 東禅寺5地割  
和野の地蔵座像と供養塔 下附馬牛19地割  
小出の石碑群 上附馬牛17地割  
大野の石碑群 東禅寺4地割  
安居台の供養塔群 安居台3地割  
薬師橋の金比羅石碑群 上附馬牛9地割  
張山の石碑群 上附馬牛4地割  
荒屋の供養塔群 下附馬牛4地割3番地  
見ざる言わざる聞かざるの石碑群 東禅寺3地割 遠野遺産第79号
火渡の石碑群 上附馬牛7地割 遠野遺産第17号
遠野市土淵町
一の渡の水神様 栃内11地割  
新田の金毘羅大神 栃内10地割  
大洞入り口の供養塔群 山口2地割  
柏崎の石碑群 柏崎1地割  
五日市の石碑群ときつねの関所 土渕17地割  
野崎の石碑群 栃内26地割  
飯豊の供養塔群 飯豊4地割  
飯豊の雷神様

飯豊2地割

 
佐々木トヨの供養塔 栃内21地割  
常堅寺傍の石碑群 土淵8地割  
林崎の石碑群 栃内21地割  
西内の石碑群 栃内2地割  
土淵中学校傍の石碑群 土淵3地割  
伝承園前の石碑群 土淵6地割5番地  
大槌街道跡の石碑群 栃内22地割217番地  
遠野市遠野町
九重沢の供養塔群 遠野町28地割  
遠野市松崎町
高場の供養塔群 光興寺13地割  
松崎観音の石碑 松崎11地割  遠野市史跡
登戸橋そばの供養塔群 光興寺4地割  
西内海上線入口の石碑群 駒木7地割  
小田沢の石碑群 駒木2地割  
小田沢入口の石碑群 駒木2地割  
蓬田橋前の三吉大神 白岩31地割  
沢の口の金比羅石碑群 松崎11地割  
天神の供養塔群 光興寺2地割  
矢崎の地蔵菩薩供養塔 松崎4地割  
上松崎の供養塔群 松崎6地割  
飢饉の碑 光興寺13地割 遠野遺産第85号
妻の神の石碑群 駒木4地割1番地1 遠野遺産第62号

石碑のミニ知識

三峯山(三峯神社)

奥秩父の山中に車ではいること1時間半、三峯神社は海抜1100mの山頂にあります。
三峯神社の権禰宜神事課長さんのご説明によりますと、三峯山という名称は、雲取(くもとり).白岩(しらいわ).妙法(みょうほう)の三つの峰が特に秀でていることから名付けられたそうです。
また、江戸時代までは山伏達の修験の山として栄え、別当観音院が支配していたお山ということでした。
そして1900年の時をさかのぼる昔、日本武尊が国産みの神様をおまつりしたのが三峯神社の始まりで、日本武尊の道案内をした山犬(ニホンオオカミ)がお使いの神だそうです。
お犬様または大口の真神(おおくちのまかみ)ともいわれ火難.災難.盗賊よけの霊験があると信じられ、当時から現在に至るまで、全国各地からたくさんの人々が講社を組織して三峯神社に登ってくるのだそうです。

青面金剛

インド由来の仏教尊像ではなく、中国の道教思想に由来し、日本の民間信仰のなかで独自に発展した尊像である。庚申講の本尊として知られ、三尸を押さえる神とされる。
道教では、人間の体内には三尸という3種類の悪い虫が棲み、人の睡眠中にその人の悪事をすべて天帝に報告に行くという。そのため、三尸が活動するとされる庚申の日(60日に一度)の夜は、眠ってはならないとされ、庚申の日の夜は人々が集まって、徹夜で過ごすという「庚申待」の風習があった。庚申待は平安貴族の間に始まり、近世に入っては、近隣の庚申講の人々が集まって夜通し酒宴を行うという風習が民間にも広まった。
庚申講の本尊である青面金剛の像容は、一面三眼六臂で、手足に蛇が巻き付く姿が一般的で、密教の明王像、特に軍荼利明王に通ずるものがある。日本では各地に石造の庚申塔が多数遺り、そこには「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿像とともに青面金剛像が表わされている例が多い。木造の古例としては、奈良・東大寺の木造青面金剛立像(重要文化財、東京国立博物館に寄託出品中)が著名である。

金比羅宮

金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する神社。こんぴらさんと呼ばれて親しまれており、金毘羅宮、まれに琴平宮とも書かれる。明治維新の神仏分離・廃仏毀釈が実施される以前は真言宗の象頭山松尾寺金光院であり[1]、神仏習合で象頭山金毘羅大権現と呼ばれた。現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人金刀比羅本教の総本部。全国の金刀比羅神社・琴平神社・金比羅神社の総本宮でもある。

長く続く参道の石段が有名で、奥社まで登ると1368段にもなる。海上交通の守り神として信仰されており、現在も漁師、船員など海事関係者の崇敬を集め、海上自衛隊の掃海殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。金毘羅講に代表されるように古くから参拝者を広く集め、参道には当時を偲ばせる燈篭などが今も多く残る。

青麻神社

青麻神社(あおそじんじゃ)は宮城県仙台市宮城野区にある神社である。旧社格は郷社旧称を青麻岩戸三光宮、青麻権現社、嵯峨神社などといい、日本各地にある青麻神社・三光神社の総本社である。

天照大御神・月読神・天之御中主神を主祭神とし、常陸坊海尊を併祀する。主祭神三神はそれぞれ日神・月神・星神であり、神仏習合の時代には大日如来・不動明王・虚空蔵菩薩としていた。

常陸坊海尊の霊験により中風封じ、社家の穂積氏が水運に携わっていたことにより海上安全の信仰がある。

社伝によれば、仁寿2年(852年)、社家の遠祖・穂積保昌が山城国から当地に下向し、一族が尊崇していた日月星の三光の神を山峡の岩窟の中に祀ったのが始まりである。穂積保昌が土地の人々に麻の栽培を教えたことにより「青麻」の地名・社名となり、神紋も麻の葉である。

天和2年(1682年)、源義経の家臣であった常陸坊海尊(清悦仙人)であると称する老人が当地を訪れ、中風を治す霊験を顕したことにより、当社に常陸坊海尊が配祀された。