遠野の名所旧跡

サムネイル画像とタイトルに撮影日の画像集「withPhoto」へのリンクが施されています。左側の各項目には過去に撮影された画像集やYouTubeも掲載されているものもあります。但し、下記の説明文の最後に左側項目へのリンクがないものは、過去に撮影された画像集またはYouTube動画ありません。

鍋倉城跡(鍋倉公園)

2012.05.07

遠野遺産第63号

遠野市遠野町4,5,6地割

天正年間(1573~1592)阿曽沼氏が築城。後に遠野南部氏の居城となった。明治 2年(1869)に廃城。玄関跡の葺石、礎石の残る本丸や家臣の屋敷があった平場、空堀などの遺構が現在も残されている。現在は都市公園となっている。

昨日で遠野さくらまつりが終了しさぞ寂しい公園かと思いきや、展望台方面から賑やかな声が。展望台脇で家族でしょうか、アカペラで次々と歌が繰り出しお花見中で小学生位の子供もいました。

展望台までは車で上ることができます。タクシーで老夫婦が来ていました。

城跡にはまだ桜が散り止んでおらずまだ桜を満喫できます。でもずんぐりとして大きいクマバチには要注意。

舌出し岩
2014.04.24

遠野遺産第132号

遠野市土淵町栃内4地割

国道340号線沿いの西内にある巨石。花崗岩の巨石で、その姿舌を出して麓を見下ろす龍の顔に見えることからこの名前がついたとのこと。その昔、栃内の沼袋に住み村人を苦しめた龍が石になったという伝説があり、胴体は二つ岩(栃内)、尾は大楢と角城境の河原にあると伝えられている。

実際に見た感じは確かに蛇やその類いの生物が舌を出しているように見える角度がある。舌はやや斜めに突き出しており、角度が変わると石棺の入り口のようにも見える。この巨石の下は人工的に積み上げられたように見える四角い積み石がある。これも自然のものであるならば、なんとも自然の造形力はすばらしいことか。

藤沢の滝

2012.12.02

遠野遺産第75号

遠野市小友町第一国有林内

長野川の支流、藤沢川の上流の渓流にある大小48の滝を総称して言う。中でも特に規模が大きい應滝の男滝・女滝は最も上流に位置している。美しい渓流と森の景観から、古くから小友町の景勝地と知られている。

この時期の滝巡りもいいものだ。里にはほとんど雪はないが、ここは一足早い真冬の景観を見せてくれる。本格的に雪が積もると足場が悪く危険になる。今が冬の最後の機会かもしれない。

藤沢の滝にて撮影されたYouTube動画はこちらにあります。

中斉の夫婦カツラ

2012.11.19

遠野遺産第122号

遠野市宮守町達曽部46-34

樹齢300年以上、宮守町の代表的老巨樹で二株が並んでそびえ立つことから、夫婦カツラと呼ばれている。どちらが亭主でどちらが女房か。樹下にはそれぞれ岩鷲山神社、稲荷神社が祀られていたが、平成9年に北株根元の祠に合祀された。祠には稲荷神社の嘉永7年(1854)建立棟札がある。北株の根元からはこんこんと清水が湧き出て多面に恵みを与える御神木として尊崇されてきた。今はすぐ脇の水量豊富な用水路から水を引き入れているが、今も根元から清水が湧き出ているのだろうか。

南株の樹下には水車があり、かつては地域住民に利用されていたという。この水車、鉄製で頑丈そうだ。この水車に前述の用水路の水が流れ込んで回すしくみになっているが、残念ながら水車は止められていた。遠野遺産に認定されたことで、再び息を吹き返すかもしれない。

中斉の夫婦カツラにて撮影されたYouTube動画はこちらにあります。

奇体な石「期待石」

2012.05.10

遠野市宮守町下宮守31地割

ここはめがね橋公園内の一角というか公園と川を挟んで反対側。平成23年9月の半ば、宮守川の整備工事をしていたとき川の底から現れた石です。川関連の工事の際、こういう石が出土して形があるものを連想させる場合、一気に神聖化する直近の好例です。

確かに中央の大きな石は「金精様」に見えます。誰が始めたのか、周りに石を置いて願掛けするようになったとか。仕掛けたのは意外に意外な人かも。

光興寺の南部茅葺き街道

松崎町光興寺では平成23年10月現在、茅葺き板葺きのゴミ収集所が5棟建てられています。

宮代の南部茅葺き小屋「清捨」

2011.10.09

遠野市松崎町光興寺13地割

現在5棟ある茅葺き板葺き屋根のゴミ収集所の発祥の地です。そばには旧跡である横田城址があります。中には茅葺きの際に使用したであろう茅がつり下げられています。一口に茅と言っても使用する種類が違うようです。ススキ、オギ、ヨシ、チガヤとかが代表的なものですが果たしてここにつり下げられているのはなに?

他の茅葺き小屋の画像はこちらにあります。

早瀬川=百姓一揆=

2011.09.16

遠野市松崎町白岩17地割

三閉伊沿岸通り102村の民衆1万2千人が藩政改革を要求してこの河原に野営し、川を挟んで遠野武士と8日間睨み合いました。

アメリカ東インド艦隊が浦賀に来て通商を要求した翌年の弘化4年(1847年)のことで、南部の幕末激動の幕開けはここから始まりました。

小友村道路元標と追分の碑

2011.08.23

遠野遺産第87号

遠野市小友町16地割

小友町商店街筋にこの二つがあります。

まず小友橋を渡って商店街に入るところの十字路に追分の碑が建てられています。追分の碑としては大きいです。ここは昔宿場町として栄えた所。その名残を感じさせる風情が今も建物や水路などに残っています。

丁度この町中の中央ほどに道路元標がポツンとあります。道路元標とは明治に市町村毎に一つだけ建てることを許された道しるべ。今は岩手県には3箇所ほどしか現存していません。

遠野第二ダム

2012.01.13

遠野市遠野町28地割

雪景色のダムもいいものです。

竣工は平成23年3月18日。昭和32年に遠野第一ダムが完成後、昭和56年8月台風15号、平成2年9月台風23号の集中豪雨により河川が氾濫しそれによりこのダムを造ったとのこと。

余分な増水をトンネルを通して市内を迂回させて猿ヶ石川に放水するという方法をとっています。

過去に撮影された画像はこちらにあります。

遠野ダム

2012.05.24

遠野市遠野町32地割

昭和32年6月1日に竣工しました。さすがに古さを感じます。橋のプレートには「遠野堰堤」と刻まれています。

ダム下には遠野総合射撃場があり、この日はクレー射撃が行われており銃声が山々に轟いていました。これなら野生動物は近づけないでしょう。

ここより約1kmほど下流に今年3月に竣工したばかりの第二ダムがあります。

過去に撮影された画像はこちらにあります。

続石

2011.11.18

昭和34年3月10日遠野市天然記念物指定

遠野市綾織町上綾織6地割

遠野物語拾遺第11話に登場する続石。盛岡から来る途中の綾織で散策出来る名所です。

続石の前には弁慶の昼寝場があり、背後には山神社がある。少し離れた左手奥には泣き石がある。この泣き石の奥にも大岩があるが名前はないようだ。続石の全面には不動岩があり、とでかい岩がちょっとした岩壁となっている。この一帯には大岩がここかしこにあり、その昔地震や大雨かなにかで岩肌が現れたように思われる光景がこの山中にはある。続石も微妙なバランスで元々土に埋まっていたものが地表に現れたものだろうか。

続石にて撮影された他の画像とYouTube動画はこちらにあります。

高清水高原展望台

2012.05.17

遠野市松崎町光興寺

高清水高原に行くには綾織町側からと松崎町側からの2ルートがあります。距離的に短いのは綾織町側からになります。

高原まで完全舗装ですが車1台が通れる程度のところが続きます。ここを林業専用トラックが通りますのですれ違いに御注意を。

この場所からの眺めはよく「遠野」を紹介するドラマなどによく使用され、遠野盆地が見渡せる眺め抜群の場所として有名です。

高清水高原展望台にて撮影された別日の画像とYouTube動画はこちらにあります。

無尽妙什大師の墓

2010.10.22

遠野市附馬牛町東禅寺17地割

無尽妙什大師、俗名無尽和尚の墓である。すぐ近くにある東禅寺跡は無尽和尚が開いた臨済宗のお寺で建武年間(1334~45)に建立されている。

無尽和尚を慕い修行僧が200人以上いたと言われており、その賄い用に使用されたと言われる大釜が麓の常福院にある。

この墓の傍らにサワラの大木があり、静かに墓を見守っている。

東禅寺跡と無尽堂

2010.10.22

平成3年8月10日遠野市指定史跡記念物

遠野市附馬牛町東禅寺17地割

無尽和尚が開いた東禅寺。多くの修行僧で活気にあふれていた、そんな風景を思い描きながら見渡してみるとポツンと無尽堂だけが目に入ります。

こんな山奥になぜという思いがこみ上げます。俗世間から遠く離れた場所で仏の道を究めたかったからに他ならないのでしょうが、それにしてもさみしい場所です。

近くには比較的水量の多い川が流れいます。

南部守行の墓

2010.10.22

遠野市附馬牛町東禅寺17地割

盛岡南部氏13代南部守行は大槌との合戦で永享9年4月9日陣没す。殉死した家臣12人と葬られている。

南部守行の生没年は1359年~1437年。78歳の時に戦死したことになる。12代当主である父政行は60歳で没している。男子の子宝にも恵まれており、後3代まで息子が当主を務めている。

道路に面した山裾に小さな墓碑が並んでいる。あまりに質素な佇まいに質実剛健な武士の魂を感じてしまう。

鹿込小学校跡地のイロハモミジと二宮金次郎像

2010.06.27

遠野遺産第98号

遠野市宮守町下 宮守37地割19番地

かつての鹿込小学校の講堂だったのでしょうか、鹿込地区集会所とつながって存在していました。もうボロボロですが中に は数台の卓球台があります。二宮金次郎像は茅葺き屋根に守られています。私の通っていた大松小学校にも二宮金次郎像がありましたがもっと大きかった印象が あります。

近江弥右衛門の墓

2010.06.26

遠野遺産第89号

遠野市上郷町佐比内32地割

近 江商人で上郷の開発に尽力しました。それではなぜ近江商人が遠野までやってきたのか。近江商人が砂金に目をつけたのは、南部の砂金は純度が高いにもかかわ らず、小判との交換相場は砂金が1~2割安かったからである。砂金を買い集め、これを上方で銀貨に替えると、ゆうに1倍半、5割以上の利を得ることが出来 たからである。表向きは薬売り、行商であるが、実際は砂金の買い集めであった。(e-たわごとより)

暮坪かぶと近江弥右衛門と金山

e-たわごと 八柳修之氏寄稿より

暮坪かぶ異聞

及川舘一族の墓

2010.06.13

遠野遺産第64号

遠野市小友町16地割103番地

及 川館は小友宿場の東側の山上にあるが、一族 36基の墓は常楽寺境内にある。及川氏は遠野南部家の家臣として小友代官などを勤め、藩境警備にあたった。小友の発展のために尽力した一族の歴史を今に伝 えている。

安倍(阿部)屋敷跡

2010.06.09

遠野市土淵町土淵8地割

陸奥六郡に威勢を誇った安倍氏の一族が、天喜・康平のころ(紀元1050年頃)から構えていた屋敷で、豪壮 な直屋の母屋には数十名の家族が住み、土塁と塀に囲まれていました。八幡座舘の八幡太郎の軍と小烏瀬川を挟んで矢を撃ち合ったと伝えられる的場跡もありま す。

かっぱ淵~蓮池川水域

2011.11.09

遠野遺産第22号

遠野市土淵町土淵6~13地割 

常堅寺本堂の左側にある渡り廊下をくぐってかっぱ淵に。 淵といっても趣は小川です。 水深も深いところで膝丈ぐらいでしょうか。 ここで馬を引きづり込むのは無理と現実的なことを考えるのはヤボというもの。ここにはかっぱを祀る祠、稲荷堂安倍屋敷跡と見所があります。 

かっぱ淵にて撮影された他の画像とYouTube動画はこちらにあります。

足洗川の蓮池かっぱ橋とオブジェ群

2012.05.16

遠野市土淵町土淵7,8,9地割

「足洗川」と川というながついているが実際は用水路の趣が強い。小烏瀬川から水量を調節できるようなしくみで繋がっている。唯一かっぱ淵当たりが川らしき風情を残す。

平成23年2月に竣工したばかりの橋。道路幅を広げ伝承園手前の住宅密集地を迂回するための新設道路とつながることになる。今後伝承園やふるさと村などに行く観光客はこの橋周辺の奇妙なオブジェに思わず車を止めて近くで見たくなるに違いない。こんなことも想定してか気がつかないうちにオブジェが増えていた。何とも奇怪で遠野らしいかも。

ここから歩いて120mほどでかっぱ淵に行くことができる。

綾織新田遺跡

2010.06.06

国指定史跡 文部科学省平成14年12月19日

遠野市綾織町下綾織33地割

現地は鬱蒼とした草原化しており史跡を感じるものは案内板以外なにも見当たりません。ここからそう遠くない、駒形神社の近くでは新たな発掘作業が行われています。公表された場合「綾織向遺跡」となることでしょう。

残念ながら8月には向遺跡も完全に埋め戻され現在は貯木場になっています。

氷口御祝(すがぐちごいわい)

2010.05.29

遠野遺産第66号

遠野市小友町氷口地区

祝宴に先立ち歌われる式歌で、男女がそれぞれ旋律の違う歌を同時に歌い、同時に終わる。その後全員で歌うという特異な構成となっている。江戸時代から伝わるとされるが定かではない。〔遠野市指定文化財〕

写真でご覧の通り氷口御祝の里の集落は少なく、伝統が守られていることに敬意を表します。

外山開墾記念碑

2010.05.29

遠野遺産第15号

遠野市小友町11地割147番地

外山地区の開墾の祖である及川恒次を顕彰する石碑。及川恒次は金鉱を採掘し、その資金で外山地区を開墾した。記念碑は及川家8代目伝庫長男忠兵が明治40年(1907)12月に建立。

西風舘(ならいだて)と八幡神社

2010.05.21

遠野遺産第19号

遠野市綾織町新里23地割100番地

宝徳2年(1450)に宇夫方守儀が築いた、堀切、曲輪を備えた中世の館跡。弘治3年(1557)に葛西領から夜襲を受け落城した。堀切には「千ヶ堀」という名前がついている。館跡の名残りとして八幡神社がある。

達曽部涌水のわさび田と石碑群

2010.05.16

遠野市宮守町達曽部涌水地区

湧水川沿いに延々と続くわさび田があります。遠くからでは一見普通のビニールハウスに見えるのですが中にはみずみずしいわさびが灼熱の暑さと清流の冷たさに包まれています。ビニールハウスの扉が開いていましたので、外から撮らせて頂きました。

また、この湧水地区では平成9年参拝12年建立の出羽三山参拝記念の石碑を建てられています。

達曽部涌水のわさび田のYouTube動画はこちらにあります。

五日市のキツネの関所

2010.05.10

遠野市土淵町土淵

町場に来る村人たちの楽しみは茶屋酒を飲みながら、ほら話を吹きまくることでした。帰り道、かかさまへの土産五十集(いそば・塩魚や干し魚)を首にかけ、夜更けにこのあたりを通ると、美しい女が「風呂に入って酒っこあがんせ」と微笑みながら誘いかけ・・・夜が明けると我が身は泥田や肥だめにつかり、みやげはとうに消えていた。ドンドハレ

五日市のキツネの関所のYouTube動画はこちらにあります。

法華題目の碑と桜

2010.05.06

昭和38年4月26日遠野市指定史跡記念物

遠野市下組町8地割20番地

日蓮宗総本山久遠寺64世の日伸上人の筆で、弘化3年(1846)に建てられました。遠野南部氏の祖先に当たる甲州見延の南部家は久遠寺の寄進者です。ここは防御のための升形が設けられた城下への入り口で妙法弘布の地であることを宣言した碑です。

過去に撮影された画像はこちらにあります。

辷田(すべた)峠一里塚

2010/05/02

遠野遺産第20号

昭和38年4月26日遠野市指定史跡記念物

遠野市上郷町細越2地割5番地

幹線道路から450m入ったところにあります。車一台分の未舗装の道路を歩いていくことができます。2基1対、高さ2.5mと2.9m。完全に形が残っている。一里塚は、街道に1里(約4㎞)ごとに土を盛り、木を植え里程の目標としたもの。遠野市指定文化財に指定されている。

サムトの婆

2010/04/27

遠野市松崎町光興寺

登戸橋近くにその案内板があります。「遠野物語第八話」で語られている最も有名なお話ですね。この話はリニューアルした遠野博物館のマルチスクリーンで上映されています。「いかにして帰ってきたか」と問う親類縁者の「いかにして」の意は。サムトの婆に関する興味深い記述がありました。こちらです。

サムトの婆にて撮影されたYouTube動画はこちらにあります。

池端の石臼

2010/04/26

遠野市中央通り6地割25番地

商店街の建物の端に一本、案内柱が立っているだけですから見落としてしまうかもしれません。

今も池端精米所が健在です。敷地内には最近建てた石臼神社が祀られています。こういう場合、お米をお供えすべきなのでしょうか。言われを知っていると一粒だけでいいのかと悩んでしまいそうです。

貞任高原風力発電所

2012.05.16

遠野市土淵町国有林内

水芭蕉群生地入り口標識からさらに1km登ると風を受けて回るどでかい風車が待っています。残念ながら、水芭蕉はすでに花が終わり葉が50cmほどまで伸びていました。当たりは高原地帯ですから牧草地が広がっています。山の起伏が結構あるため、全部がきれいに横一線に並んでいるわけでありません。

今日は時折日が差すものの風が強く肌寒い日で、山の頂上のこの高原の風の強さは相当です。遠くから見るとさほど大きく感じない風車も、近くで見るとその大きさに圧倒されそうです。ハブの高さ68m、羽根(ロータ)の長さ61.4m。

この風車は遠野12基、釜石17基、大槌14基あり、総電力42,900KW、遠野・釜石・大槌ほぼ全域に当たる約3万世帯分の発電量とのこと。この電力は東北電力に売電されています。平成16年から17年間契約とのことです。

ある意味、遠野・釜石・大槌は自前の再生エネルギー設備を完備しているといえるかもしれません。そう思うとこの風車たち、とても頼もしく見えてきます。

貞任高原風力発電所にて撮影された別日の画像とYouTube動画はこちらにあります。

呼ばれ石

2010/04/25

遠野遺産第23号

遠野市宮守町上宮守18地割

国道396号沿いにある大きな岩。昔、岩の近くで人を呼ぶと、それに応じて岩も同じことを言うので、猟師に頼んで一発石に打ってもらった、それからは呼応しなくなったという。その鉄砲傷が残っているという。

貞任水芭蕉群生地

2010/04/26

遠野遺産第38号

遠野市土淵町国有林内

貞任高原の国有林内に広がる県内有数の規模を誇るミズバショウの群生地。貞任牧場の開拓に伴って、ミズバショウの群生が広く知られるようになった。春の観光地として有名。今年は寒くてこの日で3分咲といったところでしょうか。

阿曽沼公歴代の碑とシダレザクラ

2011.05.06

遠野遺産第84号

遠野市松崎町光興寺4地割

阿曽沼氏は源頼朝が奥州を平定した文治5年(1189)~慶長5年(1600)の滅亡まで13代400年間に渡って遠野の領主でした。中央の五輪塔は室町期と伝えられ遠野最古のものです。

シダレザクラそして芝桜が美しい場所です。墓碑の裏手にはリンゴ畑が広がっています。ここはりんご農家が多い地域です。

過去に撮影された画像はこちらにあります。

角助の墓(駒木鹿子踊りと角助の墓

2010/04/24

遠野遺産第97号

遠野市松崎町駒木7地割

角助は江戸時代の中頃、遠州掛川(静岡県掛川市)でしし踊りを見て、その優れた点を取り入れて「駒木しし」を完成させた舞手、振り付け師として語り継がれてきた人です。

福泉寺の傍の田畑の中を山方面に歩きます。墓の傍らには少し離れてかわいい稲荷社が祀られています。

めがね橋周辺の景観

2010/04/23

遠野遺産第99号

遠野市宮守町下宮守

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモチーフとなった橋梁です。その頃は岩手軽便鉄道と呼ばれていました。「遠野物語」の話者、佐々木喜善とも親交がありました。佐々木喜善は10歳年下の賢治を尊敬していたようですが、賢治は喜善に対してどういう思いで接していたのでしょう。

ここは恋人の聖地として売り出し中です。

旧青笹役村場庁舎

2010/04/18

遠野遺産第13号

遠野市青笹町青笹13地割1番地8

昭和28年(1953)に青笹村役場庁舎として建設された。総建坪約118坪、2階建て 建築様式ハロータイル建築、二重窓、屋上展望台、時報装置付き。現在は「青笹町民俗館」として利用されている。

乳神様(金勢様)

2011.08.25

遠野遺産第45号

遠野市綾織町みさ崎5地割77番地

木の根本に上がるはしごが掛けられていますが景観を損ねるだけで必要だったのでしょうか。乳神様(金勢様)は、大きな岩の上に立つウッ コの大木に抱かれるようにしてある。子供が授からなかったり、お乳が出なかったりする女性が、子宝やお乳がた くさん出るよう祈願した。

過去に撮影された画像はこちらにあります。

太郎淵

2010/04/17

遠野遺産第91号 

遠野市松崎町光興寺2地割

道路沿いにありますのですぐわかります。 

この周辺は名所旧跡が集中しています。お得感いっぱいのスポットです。

土淵のかっぱ淵と違って東屋、トイレ、駐車スペースがあり公園風に整備されています。

ここは淵というより池といった趣です。 

太郎淵にて撮影されたYouTube動画はこちらにあります。

清心尼公の碑(墓)

2011.10.12

遠野遺産第86号

遠野市松崎町光興寺2地割

遠野南部第21代領主で清心尼公は八戸南部第20代直政の夫人で29歳で未亡人となり、剃髪して仏門に入り清心尼と称した。嫡子がなかったので封建時代には異例の女の殿様が誕生した。

過去に撮影された画像はこちらにあります。

重湍渓(チョウタンケイ)

2011.08.29

遠野遺産第39号

遠野市附馬牛町上附馬牛

猿ヶ石川上流にある渓流。巨大な花崗岩が階段状に浸食され、畳を何枚も敷いたように対岸近くまで連なる。釜石線全通記念として一般公募した沿線八景の一つにも選ばれた。

天然のプールとして地元に人気。深水もなく岩も丸く削られており子供達を安全に遊ばせることができる数少ない場所です。

YouTube動画と過去に撮影された画像はこちらにあります。

ダンノハナと佐々木喜善の墓

2010.06.24

遠野遺産第65号

遠野市土淵町山口2地割

ダンノハナは、山口集落を挟んでデンデラ野と向かい合う東側の丘にある。生の空間の集落、死の空間のダンノハナ、その中間がデンデラ野として解釈される。 ダンノハナの共同墓地には、『遠野物語』の話者・佐々木喜善の墓がある。その右隣にあるお墓は厚楽家であるが喜善の祖父の実家なのか。

過去に撮影された画像はこちらにあります。

山口の水車小屋

2011.08.28

遠野遺産第9号

遠野市土淵町山口2地割9番地

土淵町山口集落にある茅葺の水車小屋。遠野の農村イメージを象徴する建物として、観光地となっている。古くからこの地にあるようだが建築年代は不明。現在でも使用している。

YouTube動画と過去に撮影された画像はこちらにあります。

山口デンデラ野

2010.06.22

遠野市土淵町山口5地割

遠野遺産第21号

遠野物語の姥捨て伝説の地として知られる遠野を代表する観光地の一つ。『遠野語』111話に、六十歳を超える老人がデンデラ野に追いやられる慣習が あったと記されている。現況は、原野と畑地になっている。

過去に撮影された画像はこちらにあります。

綾織の水車小屋-千葉家南部曲り家付近-

2011.10.01

遠野市綾織町上綾織1地割

去年の今頃までは廻っていた水車も樋が壊れて修理されておらず止まってます。もしかしたら去年から今年にかけての大雪に堪えられなかったのかもしれません。

残念ながらここの水車小屋は観光用で現在はただ水車が回るだけ。田に水を引くためのものではありません。山口の水車小屋のごとく生活に密着しているといいのですが。

今回は背景にある千葉家を合わせて撮ることに重点を置きました。

過去に撮影した画像はこちらです。

五百羅漢

2011.12.02

遠野市綾織町新里30地割

大飢饉で亡くなった人たちの供養として大慈寺の義山和尚が明和2年から数年かけて彫り上げたものです。

愛宕神社脇から山腹を目指して登ります。さほどきつくない傾斜です。五百羅漢入り口には別ルートで車でも行けます。五百羅漢は岩に線描きで仏様を彫り込んでいます。苔むしてわからないものがほとんどですが、百体程度は確認することができます。

YouTube動画と過去に撮影した画像はこちらにあります。

南部曲り家千葉家

2010.05.26

遠野市綾織町上綾織1地割14番地

千葉家の曲り家は南部藩特有のもので、今から約200年前に建築された豪壮な民家。住家の部分は306.96㎡、畜舎の部分は162.86㎡、土間と合わせて486.67㎡(147.22坪)ほどあり、かつては作男15人、馬20頭を有していた。現在は畜舎の部分は改装されて千葉家に伝わる民具等が展示されている。平成19年12月、国の重要文化財に指定された。

入場料は350円ですが、十分に価値ある圧巻の建物で、個人所有としは大きい稲荷神社も敷地内にあり庭園風の作り、続石に似た巨岩をうまく利用した配置もみごとです。ただ、残念ながら正面から見えない茅葺き部分がトタンで補強されています。

YouTube動画と別日に撮影した画像ははこちらにあります。