JR釜石線・陸中大橋駅・仙人峠・不動堂

陸中大橋の猿

2012.05.13

釜石市甲子町

仙人峠に住む野生の猿を初めて見ました。というより群れの一団に遭遇し、ビデオを撮影し始めて一旦逃げかけた猿たちがまた集まりだし、少し離れた所にいたボス猿が群れと合流し若い猿1匹とともに私の方めがけて走ってきました。

さすがに初めての経験で思わず逃げて大声出して追い払おうとしても付いてくるし向こうも威嚇するしで、逃げてる足がもつれて転んで擦りむいて車に逃げ込んで、それでも助手席側のそばにボス猿が歯をむき出してまだ威嚇するしで大変でした。

山菜採りに来た車が橋のそばで止まったため、ボス猿も今までいた反対側の山へと隠れました。人数が増えると臆病になるボス猿でした。

野生の猿、特にボス猿に出くわしたときは目をそらさずじっと胸元当たりをみて大声を出さずおとなしくしているのがいいとか。全く反対の行動をとってしまいました。

猿の群れがいた場所は、かつて釜石鉱山の職員住宅のあった場所です。かつて同級生もここに住んでいたところが今は猿の憩いの場になっていたとは。

陸中大橋で猿の群れと遭遇す。(猿の経立)YouTube2012.05.13

 

陸中大橋の猿YouTube2012.05.13

仙人大橋

2012.05.13

釜石市甲子町

私が小学校の頃からサイクリング、魚釣り、マラソンで通った橋。高校生の頃、陸中大橋駅からここまで夕飯後に走るのが日課にしていた時期がありました。

小さい頃は今よりもっと寒くて、この仙人峠の紅葉はどこにも負けないくらいきれいだと思っていましたが、今は昔ほどの色鮮やかな紅葉は見ることができないのが残念です。でも、今の時期、さくらが咲き青葉が鮮やかになり始める頃もいいものです。

陸中大橋駅--仙人トンネル前YouTube2012.05.13

JR釜石線・陸中大橋駅・午後12:42上り下り普通電車YouTube2012.05.09

JR釜石線・陸中大橋駅

エスペラント名:ミナージョ「鉱石」

2012.05.08

釜石市甲子町

生まれ育った場所。小さい頃はもっと広く大きく感じた古里ですが、今はあまりにも狭く感じられます。

ここ陸中大橋駅も今は無人駅となっていますが、昔は売店もあり駅員さんも数人いた記憶があります。駅舎の右隣に公衆便所があり、仙台屋という衣料品店と本屋が並んでおり、今でもその廃屋が残っていました。

駅舎正面、広場を挟んで北海屋という食堂があり、バス停を挟んで鐵元の事務所があったように思います。

仙人峠トンネル前-釜石鉱山社宅前-陸中大橋駅YouTube2012.05.08

仙人峠道路

2012.05.08

遠野市上郷町細越、釜石市甲子町

訪れたときが丁度桜が満開でした。小学生の時、友達と自転車でここを登り仙人峠トンネルを越えて砂防ダムまで行ってカジカ釣りをしたり、中学生の時は体力作りに大橋駅から陸橋までの往復を走ったり、自転車で休まずトンネル前まで漕いだり、高校になると野外炊事のレクリエーションで来たりと思い出の詰まった場所です。

陸中大橋の不動堂

2012.05.08

釜石市甲子町大橋

陸中大橋駅から線路をまたいで反対側の山斜面にこの不動堂があります。このそばには国鉄の職員住宅があり、小学校の友人もここに住んでいました。今は荒れた材木置き場になっていました。

ここ不動堂も幼い頃には例大祭など活気がありお参りに出かけた記憶があります。また、数多くの白布に書かれた願掛けを見ると訪れる方が多い未だ信仰の衰えない場所と実感します。

ここにある狛犬は人面顔で愛嬌がありました。明治37年2月に小笠原源十氏によって奉納されてもの。小笠原源十氏といえば明治13年6月16日に、甲子地区の郵便取扱所として大橋郵便取扱所を開設した人です。

私が小さい頃、源十とは屋号となり「源十旅館」を営んでいたように記憶しています。