遠野市青笹町の供養塔(石碑)群

サムネイル画像とタイトルに撮影日の画像集「withPhoto」へのリンクが施されています。左側の各項目には過去に撮影された画像集やYouTubeも掲載されているものもあります。ただし、下記の説明文の最後に左側項目へのリンクがないものは、過去に撮影された画像集またはYuoTubeがありません。

青笹の地蔵尊

遠野市青笹町青笹26地割

2016.03.21

石碑群を撮り始めたころに遠野テレビでの映像が気になって探していた地蔵尊である。どこにあるのかも映像からはわからなかったが、やっとみつけることができた。

この地蔵尊が安置してある斜面前の道を進んでいくと墓地がある。その供養に建立されたものか、国道283号線で犠牲になった方に対する供養なのかはわからないが、その優しいまなざしが癒される。

傍には大正12年に建立された小さな馬頭観音碑がひとつ。この地蔵尊は、さほど風化が進んでいない所を見るとその年代よりも後に建立されたものではないか。

喜清院の石碑群

2012.05.04

遠野市青笹町青笹6地割

喜清院の入り口の両サイドに石碑が並んでいる。石碑がお寺に建立されているのは珍しくない。がしかしここも数としては多い方か。石碑がないお寺は徹底してないか、石碑が建立されているお寺はその石碑の数が多いということもいえる。ただ、ここの石碑は小ぶりのものが多く訪れる者を圧倒するというものではない。

一通りの石碑があるが特に多いのが馬頭観世音だ。しかも小さいものが多い。馬産地遠野を偲ばせるには十分の数だ。

熊野神社(青笹町中下)の石碑群

2011.11.16

中下部落公民館に隣接しており、お社も大きく存在感があります。

境内というよりは隣家へ入る入口となっていて公民館と隣家の納屋に挟まれています。

平成11年5月吉日に奉献された狛犬ですが、壊れた狛犬も捨てられずに神社を見守っています。その傍らには太く大きなウッコの木があり、この木を中心に山神、金毘羅大権現、三峯山、土公神、南無千手観世音菩薩、金神、南無妙法蓮華経などの石碑が並んでます。

中央には稲荷社があり、とりわけ大きな山神塔が目を引く石碑群です。

 

中妻観音堂の石碑群

2011.11.16

遠野遺産第11号(中妻観音堂)

遠野市青笹町青笹32地割23番地

もとは喜清院を開基した佐々木出雲の氏神だという。大正2年頃に廃社となったが住民の崇敬が篤い。以前は31地割に建てられていたが、明治40年 (1907)の水害により現在地に移されたと言われている。すぐ隣には稲荷神社も祀られています。

また、境内左隅には多くの石碑が建立されており順に庚申塔、馬頭観世音、南無阿弥陀仏塔、大神宮、念仏供養塔、「六神石山」と彫られた石塔があります。

またお堂の背後にも石塔があり、雷大神、水神とともに珍しくは弘法大師と彫られた石塔もあり観音堂縁の石塔群らしさを感じます。

 

青笹のイブキと石碑群

2011.10.07

遠野市青笹町糠前41地割

岩手県指定天然記念物の「青笹のイブキ」と呼ばれる樹齢300年ほどの大木の周りに並べられた石塔たち。風化が激しく読むことが出来ないものが多い中、念仏供養塔が読むことが出来た。やや離れた所には「金神塔」と刻まれた2塔の石碑がある。果たしてイブキが植えられたころの石塔がこの風化した石塔だとしたら、石のもろさに比べてうねりのある幹を持つイブキの生命力に畏敬の念を感じてしまう。

 

実木橋傍の石碑群

2011.10.07

遠野市青笹町糠前44地割

実木橋から延びる笛吹峠旧道沿いにある。

風化が激しくなかなか刻まれている文字が読めない。小さい石塔の庚申塔だけはよめるが彫りが浅くていつまで読めることやら。

3塔プラス倒れている小さい石塔がひとつ。

この道の延長線上に青笹のイブキがあり、ここには無数の石碑がある。

奴田橋傍の石碑群

2011.08.06

遠野市青笹町青笹30地割

奴田橋から100m程市内よりに走ると、少し道路から離れた場所にあります。

回りは田圃で田圃の畦道のような所にポツンと4塔がコンクリートの土台に固められて建っています。石碑は田の方向を向いていて、民家及び道路側は背になります。

庚申塔が3つ、あともう一つ一番大きい石塔が読めません。

 

関口親交会館前の石碑群

2011.08.06

遠野市青笹町青笹28地割

上青笹関口親交会館(もとは保育園か幼稚園だったのでしょうか。)前にある5塔の石碑です。

庚申塔が3つ、念仏供養塔、もう一つが金剛尊と読めるような読めないような、よくわかりません。ずっとこの石碑群があることは知っていたのですが、昨年は回りが雑草に覆われたままで撮影することができませんでした。

 

中下の石碑群

2010.09.08

遠野市青笹町青笹4地割

中下部落公民館に入る道の角に4つの石碑が並んでいます。馬頭観世音、正一位尾崎大明神は判読できましたが他の2塔は読めませんでした。石碑のある所はコンクリートで囲われ、石碑群に渡る橋もコンクリートで出来ていました。周辺には花や隣家の野菜畑が優しい雰囲気です。

本堂の石碑群

2010.08.05

遠野市青笹町中沢23地割

古舘にある石碑群に近い場所にあります。ここは六角牛山登山口への入り口でもあり、六角石神社へとまっすぐ続く道です。石碑の前にひまわりが咲いています。中央には細身の庚申塔、他には南無阿弥陀仏供養塔、小さい庚申塔があり作成年代も寛政、安政、文化と読むことが出来ます。

古舘の大鳥居と石碑群

2010.08.01

遠野市青笹町中沢25地割

この道は六角牛山に続く道。つまり登山口につながる道。また六角石神社へも繋がる道。それにしてもこんなに大きい鳥居が公民館の後ろに無造作に建っているのはなんとももったいない気がする。この鳥居の前には、西国順禮塔・六角牛山大権現・庚申塔・百萬遍供養塔・馬頭観世音・南無阿弥陀仏供養塔など多くの石碑が並んでいる。

長谷場の八坂神社鳥居と石碑群

2010.08.01

遠野市青笹町糠前16地割

青笹中学校と県道35号線を挟んで反対側にあります。昔は赤かったろう鳥居は八坂神社のある小山を向いており、左脇には花壇で埋め尽くされた石碑が4塔あり、庚申塔と刻まれたものだけが読むことが出来ます。

三ヵ月神社前の石碑群

2011.09.13

遠野市青笹町糠前38地割

三ヵ月神社前の田圃の後ろの空き地にある石碑群です。神社の名前にもある三日月の形をした石塔もあり、小さい石塔から雷神塔、馬頭観世音、庚申塔、百万遍供養塔、南無阿弥陀仏供養塔などの多くの石塔が並びます。この石塔群はよく手入れをされており、なかなか絵になる場所です。

過去に撮影された画像集がこちらにあります。

 

下関の石碑群

2010.07.18

遠野市青笹町青笹16地割

関田橋から下関集落に入る道筋にあります。現在の道路から一段ほど下の草地に一列に並んでいます。大小合わせて9塔ほど。西国順禮塔、百萬遍供養塔、念仏供養塔、庚申塔、馬頭観世音などがあります。百萬編供養塔には文化十五年(1818年)の文字が読み取れます。

 

青笹屯所前の石碑群

2010.08.09

遠野市青笹町青笹14地割

今は個人の物置小屋となっている屯所前交差点にある石碑群です。古峯山の石碑前に鳥居がある。傍らには六角牛山大権現、馬頭観音、山神、金神、百万編供養塔、三宝荒神、金比羅大神などあらゆる神が鎮座する。右端には墓石があり南無妙法蓮華経の卒塔婆がくくりつけられている。

過去に撮影された画像集がこちらにあります。