遠野市綾織町の供養塔(石碑)群

サムネイル画像とタイトルに撮影日の画像集「withPhoto」へのリンクが施されています。左側の各項目には過去に撮影された画像集やYouTubeも掲載されているものもあります。ただし、下記の説明文の最後に左側項目へのリンクがないものは、過去に撮影された画像集またはYuoTubeがありません。

砂子沢の石碑群

2011.11.22

遠野市綾織町みさ崎6地割

今までなぜかその存在に気付かなかった、中沢公民館の近くウッコの木に護られた石碑群です。湯殿山の分厚い石塔と二つに割れてしまった板状の湯殿山の石塔があり、他には庚申塔、金毘羅大神などの石塔があります。前屈みになった石塔は読むことが出来ませんでした。

続石入口の石碑群

2011.11.18

昭和34年3月10日遠野市天然記念物指定(続石)

遠野市綾織町上綾織5地割

遠野物語拾遺第11話に登場する続石。盛岡から来る途中の綾織で散策出来る名所です。

続石の前には弁慶の昼寝場があり、背後には山神社がある。

この続石の前には不動岩があるのだが、そこから来た道とは違う道で里まで下りることが出来る。その両方の上り口の真ん中ほどの国道端にこの石碑群がある。

ここには4塔あるのだが念仏供養塔以外読むことが困難だった。

根岸の金毘羅大神

2011.10.01

遠野市綾織町新里13地割

日影橋から盛岡方面に向かう国道396号線沿いにある。

金毘羅、伊勢両宮大神と書かれた石塔で、昭和26年3月10日に建立と刻まれておりその旅路に参加した人たちが左の石板に刻まれているようだ。

すぐここから数メートル離れた所に石造りの石上神社と書かれていたであろう鳥居とこれまた大きい金毘羅塔がある。この金毘羅塔だが厚みがなく前に傾いている。

下滝沢の金比羅石碑群

2011.10.01

遠野市綾織町上綾織2地割

八幡大神から100mほど下ったここも道路沿いにある。ただし、コンクリートで土台が盛り土され20mはあろうかという大木2本が印象的な石碑群だ。数としては3塔と少ないものの大切に祀られている。中央に金比羅大権現、右に念仏供養塔、左に南無阿弥陀仏塔がある。

背後には水車小屋、千葉家南部曲り家が見える。

過去に撮影された画像はこちらにあります。

下滝沢の八幡大神

2010.08.11

遠野市綾織町上綾織2地割

八幡大神と刻まれた比較的大きな石碑が鳥居を従えて建立されている。建立されたのは昭和16年8月15日。第二次世界大戦最初の時期であり、兵役で出兵していく者の武運長久を祈願したのだろうか。ここからは南部曲り家千葉家がよく見える。

上滝沢の不動塔

2010.08.11

遠野市綾織町上綾織2地割

田屋の大杉のある山口からさらに山の方へ向かうと小峠トンネルの手前にある。南部曲り家千葉家から登坂車線を登り上滝沢へ入る道に折れると突き当たりにある。斜めに傾いた石碑が一つ沢沿いにある。たぶんこの下には小さ滝があるのか。

寒風と根岸の石碑群

2010.07.23

遠野市綾織町新里10、12地割

羽黒神社の参道入り口にある石碑群は百万遍修行・馬頭観世音・金比羅大権現・湯殿山があり、寒風のもう一つの石碑群は南無阿弥陀仏・金華山や珍しいものに釈順庵滅度塔なるものがあり安政年間に建立され、越前生まれの小林という人物と関係あるようです。根岸の石碑は3塔ですべて南無阿弥陀仏です。

 

上中宿の熊野神社と石碑群(綾織町)

2010.07.23

遠野遺産第33号

遠野市綾織町新里19地割56番地2

明治の頃、地元有志で防火の神をお祀りしたいということで勧請した。境内にある「古峯山」の碑は、まさに防火を祈願したものである。境内の石碑の最古は、 明治24年銘の「金比羅大神」碑である。

過去に撮影された画像はこちらにあります。

愛宕神社前の石碑群

2010.07.16

遠野市綾織町新里31地割61番地

愛宕さんは城下町を守る境の神でした。旅立ちの時に安全を祈り家族と別れる場所で、金比羅山、伊勢両宮、山神、湯殿山、庚申塔、駒形大神など旅の祈念碑が並んでいます。ここは下組町と境をなすところで卯子酉様もここにあり、五百羅漢もここから行くことが出来ます。