遠野市上郷町の供養塔(石碑)群

サムネイル画像とタイトルに撮影日の画像集「withPhoto」へのリンクが施されています。左側の各項目には過去に撮影された画像集やYouTubeも掲載されているものもあります。ただし、下記の説明文の最後に左側項目へのリンクがないものは、過去に撮影された画像集またはYuoTubeがありません。

平野原の石碑群

遠野市上郷町平野原3地割

2016.03.21

ここは撮り鉄たちが集う早瀬川第二橋梁近くの平野原踏切のすぐそばにある。私自身SLを撮ろうとポジション探しをして偶然見つけた石碑群である。大小13塔の石塔があるりっぱな石碑群である。惜しむらくはガードフェンスがなければと。

特に注目したいのが朝日巫女を祀る「朝日神」という石塔。明治45年3月3日に平野原と平倉の有志により建立されたもの。この地に伝わる宝治元年(1247年)ころの伝承が明治45年に再び信仰の対象として蘇るには水害など何らかの理由があったのか。

他の石碑は庚申塔が多く、江戸時代後期の石碑もある。

暮坪熊野神社の石碑群

2011.10.05

遠野市上郷町佐比内31地割

熊野神社参道入口、鳥居のそばに整然と並べられています。

南無阿弥陀仏(明治21年)、百万遍・西国順禮・金毘羅山供養塔(文化元年)、六角牛山大権現(弘化3年)、猿田彦大神、金毘羅塔、熊野山、庚申塔、水神塔(大正11年)、八将神(大正14年)、馬頭観世音などがありほぼ刻まれている文字が読むことが出来ます。

また、こことは別に熊野神社参道の林の中に入ってすぐ庚申塔が3塔ほどあります。

伊勢両宮神社(森の下)の石碑群

2011.12.07

遠野市上郷町細越10地割34番地

紫陽花がきれいな神社ですが、初冬の時期はやはりもの悲しい気配。

七庚申塔とは。石鳥居左横には8塔ばかり並んでいます。右から庚申塔や馬頭観世音など4塔あり明治の文字が。次に西国順禮塔があり天保の文字。金毘羅塔にも天保の文字が刻まれています。

 

長洞橋傍の石碑群

2011.09.15

遠野市上郷町来内1地割

長洞橋傍で遠野町から来内に入る正面玄関とも言える道沿いにつつましく隠れるようにおわします。

青面金剛尊、庚申塔、馬頭観世音など読めないものを含め5塔あります。

この場所は県道遠野住田線と長洞林道が交わるT字路にあり、遠く小友方面に向いています。

来内橋の石碑群

2011.08.24

遠野市上郷町来内14地割

来内橋のすぐそば、ガードレールの外側のわずかな空き地に台座をコンクリートにして建てられています。

水神、庚申塔といったものの他に稲荷の小さい祠が一緒に鎮座しています。この後ろが田圃になっていますがそこになにやら墓石らしきものが標柱がそばに立てられて、なにやら気になります。

 

佐野橋傍の石碑群

2011.08.22

遠野市上郷町細越17地割

今は釜石自動車仙人道路に分断されて直接行くことが出来なくなった愛宕神社へ通じる途中にある石碑群です。新仙人峠が出来る前は、JR釜石線を乗り越えなければなりませんが直接愛宕神社へ行くことが出来たようです。

猿田彦大神などありますが、平成元年にも庚申塔が建てられてます。

大寺の石碑群

2011.08.05

遠野市上郷町平倉46地割

道路を挟んで反対側には平倉観音があります。

全部で22塔ほどあるでしょうか。かなりの規模の石碑群です。ここの集落のものを一箇所に集めたものと思われます。

めずらしく文字を刻んだ石塔だけでなく、お地蔵さんとおぼしきものが彫られたかわいらしい石塔もあります。

平野原の石碑群

2010.10.21

遠野市上郷町平野原1地割

平野原地区に入ってすぐの三叉路に建つ石碑群。道路を挟んだそばには、すでにご紹介している稲荷神社がある。保食大神と判読できないものも合わせて5塔ある。

石碑が向いている先には赤羽根峠や仙人峠がある。

曹源寺の供養塔群

2010.10.21

遠野市上郷町板沢24地割9番地

「曹源寺と狢堂」でもご紹介しておりますが、供養塔の数においても道路端にある石碑群以上の存在感があるためここでも掲載致しました。お寺の石門からすぐ私たちを迎えるように道の両側に並んでいます。西国順禮塔から始まり秋葉供養塔、庚申塔、念仏供養塔そしてお地蔵様までが並んでいます。

暮坪の供養塔群

2010.08.03

遠野市上郷町佐比内26地割

わさびのように辛い暮坪かぶで有名な地区です。この供養塔群の背後の山の斜面に墓地が広がります。六角牛神社、南無観世音供養塔、保食大神、三山信仰を思わせる早地峯神社・六角牛神社・石神神社と刻まれた碑などがあります。ここから石碑街道が始まります。

川原の供養塔群

2010.08.03

遠野市上郷町佐比内21地割

上郷川原地区にあり、愛宕八幡神社入り口に近く同じ道路沿いにあります。両側を木々に囲まれているため意外に見落としてしまいます。南無妙法蓮華経と書かれた供養塔は初めてです。他には庚申塔・馬頭観世音などがあります。この街道は石碑群が集中しさながら石碑街道と言えるでしょう。

小原田橋の石碑群

2011.08.15

遠野市上郷町平倉42地割

平倉駅近くの小原田橋のそばにある石碑4塔です。この橋の川沿いを50mほど行ったところにも石碑4塔があります。花壇で彩られていたりとどちらの石塔もきれいに手入れされています。向かって右端から古峯神社・庚申塔・百万遍供養塔があり、めずらしいことにもう一つ「猫」という字が見える小さい石碑があります。

過去に撮影された画像はこちらにあります。

女長者屋敷跡の石碑群

2010.08.03

遠野市上郷町佐比内16地割

上郷村字佐比内の笹久保という処には、昔一人の女長者が住んでいたと伝えられている。その笹久保の前の稲荷淵のほとりに、かると石という大石が今でもあるが、これはその女長者の家の唐臼の上につけた重し石であったという。(遠野物語拾遺第132話)この石碑群の右横に女長者屋敷跡の「かると石」と書かれた標柱が建っています。このかると石がどこにあるのかわかりませんでした。

甲子の庚申塔群

2010.08.03

遠野市上郷町佐比内19地割

道路に面した庭の角の一部が石碑群が占領している。もともとここにあったものなのか。逆に個人の敷地が増えたものなのか。ここは珍しく読める限りにおいて庚申塔のみの石碑群で、上郷町倉田にある庚申塔群につづいて2例目である。きれいに手入れされていて石造りの花差し(花瓶)まで用意されている。

 

「たかまさま」と石碑群

2010.08.03

遠野市上郷町佐比内18地割

ここの部落にジャドウ(盲)が生まれない為の、眼の守り地蔵として祀られている。
昔、この地でジャドウが病で宿を借り、そのお礼にこの家にジャドウは生まれないと言い残した虚無僧姿の座頭の遺徳を偲んで、この地に萱の帽子を被った珍しい石塔である。(不思議空間「遠野」より)

番屋の供養塔群

2011.08.22

遠野市上郷町細越24地割

細越爪ヶ森墓地入り口の標柱とともにある全部で7塔の供養塔群です。石塔自体も大きいものが主体で、南無阿弥陀仏供養塔、庚申塔、馬頭観世音などがあり、めずらしく天明年間に建立された青面金塔(青面金剛塔しょうめんこんごう)がある。一番大きな右端の石塔は達筆すぎて判読出来ない。

過去に撮影された画像はこちらにあります。

日出神社の石碑群

2011.11.21

遠野市上郷町細越30地割

国道283号線沿いに日出神社石柱に日出姫終焉の里、日出大明神の碑があり、隠れるように山神他の石塔があります。この山神を中心とした文字の判読出来ない石塔が一番古いものでしょう。ここから日出神社本殿までは1km程はあります。また、日出神社境内の山斜面に別格として山神が祀られています。

過去に撮影された画像はこちらにあります。

繋の念仏塔と石碑群

2010.07.18

遠野市上郷町平倉2地割

繋集落の入り口に繋稲荷神社の石柱と一緒に建てられています。ひときわ目を引くのは巨大な「念仏塔」と刻まれた石塔です。多くの石塔が「念仏供養塔」と書かれているのに対し、非常にシンプルに念仏塔と書かれているのがいいですね。大きいからこそシンプルにという作り手の気持ちが伝わります。

倉田の庚申塔群

2010.07.17

遠野市上郷町平倉17地割

ご神木とも言える大樹に守られている石塔群です。ここの石塔群は珍しくすべて庚申塔だけで構成されています。右側の草木の覆われて見えなくなっているの方が古いものでしょう。ただ一塔だけ梵字と思われるものだけが彫り込まれているものがあります。ここを管理しているのは駒形神社の別当の方です。

六角牛山石鳥居と石碑群(上郷町板沢)

2010.06.17

遠野市上郷町板沢15地割

国道沿いに鳥居と石碑だけ が六角牛山を背に建てられており、石鳥居の額には大正14年12月六神石神社建設記念とあり、それに合わせて同じ時期にこの石鳥居は建てられたものと思われます。石造りの鳥居も大きく信仰の厚さを物語ります。馬魂碑、庚申塔、六角牛山、牛馬供養 塔があります。関係あるのでしょうか、丸石を積み上げた塚らしきものもあのます。