遠野河川百景-橋とともに生きる-

遠野盆地のかつては沼地だったという。領主が最初に手がけなければならなかったのは治水事業。蛇行する川が氾濫し多くの犠牲者と祈祷から逸話を生み続け、遠野物語へと繋がったいく川、川、川。

戦後間もない頃まで多くの犠牲者を出し続けた遠野の川は、その反面豊かな稔りと自然を育んできた。遠野第二タムの完成で遠野盆地の治水はほぼ完了したといえる。

今改めて遠野盆地を流れる川、支流の多さには驚くばかりだ。遠野に多いのは石碑群だけではない。神社の数も半端ではない。遠野の人々はこれを当たり前の自然そして風景として過ごしてきた。そんな見過ごされがちな自然の恩恵と先人たちの努力、信仰の痕跡を美しくも奇怪な川に架かる橋とともに追ってみたい。

早瀬川=百姓一揆=

2011.09.16

遠野市松崎町白岩17地割

三閉伊沿岸通り102村の民衆1万2千人が藩政改革を要求してこの河原に野営し、川を挟んで遠野武士と8日間睨み合いました。

アメリカ東インド艦隊が浦賀に来て通商を要求した翌年の弘化4年(1847年)のことで、南部の幕末激動の幕開けはここから始まりました。

 

小烏瀬川

2011.09.16

遠野市土渕町柏崎12地割

怪奇な話を秘めた白見山(標高1,173m)を源に流域4箇所にかっぱ淵伝説を持つこの川は、様々な物語を生んだ母なる川です。

すすきの穂を移す水辺に佇むと、駄賃付けと旅人の影が途絶えることのなかった往時が偲ばれます。